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最新更新日時: 2017年09月30日 13時06分
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砂場の歴史
公園の砂場は海からやってくる。
海の無い埼玉県でもやはり砂は海からやってくる。
その昔は河の細かい砂利をもってきたこともあった。
多摩川や荒川の砂利だ。
けれどそれらは東京のビルを造るのにほとんど削られて無くなってしまった。
ある部分ではこれ以上とると川が氾濫を起こすのでもう削り取る事が
できないでいる。
だから公園の砂の多くが海から来る。
海の無い埼玉県狭山市でも砂は海からやってくることがあるのだ。

砂は
貧しさの象徴だ。
砂地で食物を育てるのは
至難の業だ。
だから人は砂にセメントをまぜ、
石に換えてビルを建てることに使うようになった。

砂場にはセメントがあるわけじゃないから
立派な建造物だって作れない。
せいぜい一週間ぐらい山が残って、
いつのまにか風化してもとにもどってしまう。
 
19世紀にシュレーバーという人が
都市化のすすんだライプチヒで
貧しい子どもには遊ぶものがなく
裕福な子どもは外に出る事がないのを憂いていて
体操場でも作ったらどうかと市に進言していた
同じ頃フレーバーという人が
ドイツで幼稚園を始める

この二つの考えを融合させて
カール ゲゼルというおとこが作った
「こども花壇」
これが砂場の原型だ
この花壇、もともとは貧しい人を救済するために
19世紀初頭にできた
救済農園 クラインガルデンに子どもの遊び場のようなものを
付け足したものだった。
都市化でいったんおっぽりだされた貧しいおとなが
貧しい土地を分け与えてもらい
菜園をはじめ
そこに子どもの遊び場も作る
大人といっしょに
土をいじり
しょくぶつのそだてかたをまなぶ
ゲゼルは
そのような事を考えた

けれども救済農園は
もともと貧困者のために用意された
土地だからそれはずいぶん痩せていた。
なかなか思い通りに植物は
育たなかったろう
まして子どもの菜園など

さて、
ゲゼルに影響を与えたもう一人の男
フレーベルは
積み木を考えだしたことで有名だ
あのまるやさんかくやしかくの
シンプルな
抽象的なかたちを
子どもの遊び(教育)として考えたフレーベル
このフレーベルの影響をうけて
救済菜園での子どもの遊びそのものも
半ば無駄な土いじりを
エッセンスだけとりだし
シンプルでちゅうしょうてきな遊び(教育)
として、痩せ果てた土
そのなんばいも痩せ果て、養分も何も無い
石や貝殻を細かく砕いただけの
砂場に形を換えたということは
想像にかたくない
こどもに教育をほどこすには
この砂で充分だ
なにも養分のある
土を使う事も無い

やがて砂場は全国の
ドイツの幼稚園にとりいれられ
ドイツから全国の
アメリカの幼稚園へ渡り
そして明治時代に一部の
日本の幼稚園にやって来た
あとは
わたしたちの知っての通り
全国に
公園が沢山作られ砂場がつくられた

こども花壇の領地(ドメイン)は
これ以上無いぐらい痩せて
今の砂場になった
今となってはこの土地で
作物がとれていたなんて信じがたい

今日も公園の砂は渇いている
明日も植物が花開く事はないだろう
子どもたちはコンクリの無い「こどもセメント」
を作り、思い思いのトンネルや、ビルや、道路や
線路
都市をそこに作るのだ
作成: 2010年02月28日 10時20分 / 更新: 2011年01月09日 13時49分

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