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最新更新日時: 2011年01月29日 19時39分
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歌舞伎 - Wikipedia
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歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。

そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」で、慶長年間(1596年 - 1615年)に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが「かぶき踊り」の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
作成: 2010年10月24日 19時28分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
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慶長8年(1603年)に北野天満宮で興行を行い、京都で評判となった出雲阿国が歌舞伎の元祖といわれている。阿国は出雲大社の巫女だったとも河原者でもあったというが、定かではない。阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また、男装して当時のかぶき者の振る舞いを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。この頃は能舞台などで行なわれており、歌舞伎座の花道はここから来ていると考えられる。
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太平洋戦争(大東亜戦争)の激化に伴い、劇場の閉鎖や上演演目の制限など規制が行なわれ、歌舞伎の興行も困難になり、戦災による物的・人的な被害も多かった。

終戦後、GHQは日本の民主化と軍国主義化の払拭との理由から「仇討ち物」や「身分社会を肯定する」の演目の上演を禁止した。しかし、マッカーサーの副官バワーズの進言で、古典的な演目の制限が解除され、昭和22年(1947年)11月、東京劇場で東西役者総出演による『仮名手本忠臣蔵』の通し興行が行われた。
作成: 2010年10月24日 19時30分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
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1950年代、人々の生活に余裕が生まれ、娯楽も多様化し始めた。プロ野球やレジャー産業の人気上昇、映画やテレビ放送の発達が見られるようになり、歌舞伎が従来のように娯楽の中心ではなくなってきた。そして歌舞伎役者の映画界入り、関西歌舞伎の不振、小芝居が姿を消すなど歌舞伎の社会にも変動の時代が始まった。

そのような社会の変動の中、昭和37年(1962年)の十一代目市川團十郎襲名から、歌舞伎は人気を回復する。役者も團十郎のほか、六代目中村歌右衛門、二代目尾上松緑、二代目中村鴈治郎、十七代目中村勘三郎、七代目尾上梅幸、八代目松本幸四郎、十三代目片岡仁左衛門、十七代目市村羽左衛門などの人材が活躍。国内の興行も盛んとなり、欧米諸国での海外公演も行われる。
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戦後の全盛期を迎えた1960年代 - 1970年代には次々と新しい動きが起こる。特に明治以降、軽視されがちだった歌舞伎本来の様式が重要だという認識が広がった。昭和40年(1965年)に芸能としての歌舞伎が重要無形文化財に指定され(保持者として伝統歌舞伎保存会の構成員を総合認定)、国立劇場が開場し、復活狂言の通し上演などの興行が成功する。その後大阪には映画館を改装した大阪松竹座、福岡には博多座が開場し歌舞伎の興行はさらに充実さを増す。さらに、三代目市川猿之助は復活狂言を精力的に上演し、その中では一時は蔑まれたケレンの要素が復活された。猿之助はさらに演劇形式としての歌舞伎を模索し、スーパー歌舞伎というより大胆な演出を強調した歌舞伎を創り出した。また近年では、十八代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎、平成中村座の公演、四代目坂田藤十郎などによる関西歌舞伎の復興[3]などが目を引くようになった。また歌舞伎の演出にも蜷川幸雄や野田秀樹といった現代劇の演出家が迎えられるなど、新しいかたちの歌舞伎を模索する動きが盛んになっている現代の歌舞伎公演は、劇場設備などをとっても、江戸時代のそれと全く同じではない。その中で長い伝統を持つ歌舞伎の演劇様式を核に据えながら、現代的な演劇として上演していく試みが続いている。このような公演活動を通じて、歌舞伎は現代に生きる伝統芸能としての評価を得るに至っている。
作成: 2010年10月24日 19時31分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
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世界と呼ばれる約束事があり、演目の背景となっている物語の基本的な大枠が決まっていた。例えば「太平記の世界」、「平家物語の世界」、「義経記の世界」、「曾我物の世界」、「隅田川物の世界」などがあり、登場人物やその関係などは初めて見物する観客にとってもよく知っている中で、観客は戯作者がどのように物語を展開させるかを楽しむようになった。
作成: 2010年10月24日 19時31分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
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現在に伝わる江戸時代に創作された歌舞伎狂言の演目は、大きく分けて、(1) 人形浄瑠璃(文楽)の演目を書き換えたものと、(2) 歌舞伎狂言として創作されたものがある。(1) 人形浄瑠璃の演目を書き換えたものは丸本物と呼ばれる

内容としては、(1) 江戸時代より前の時代に起きた史実を下敷きとした時代物と、(2) その当時の世相を描写した世話物に分けられる。
作成: 2010年10月24日 19時32分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
歌舞伎 - Wikipedia
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歌舞伎には、多彩な音楽が用いられる。これは「歌舞伎」が本来、最初から劇として作られた演目、人形浄瑠璃を原作とした演目、さらには舞踊といったさまざまの種類の舞台を総称したものであり、各分野に適応した音楽が存在するためである。大きく分けて(1) 歌物である長唄と、(2) 語り物である浄瑠璃がある。

長唄
歌舞伎の伴奏音楽として発達した音楽。舞踊劇や舞踊で演奏される(例:『勧進帳』『連獅子』など)。また囃子方と共に下座音楽(後述)を担当する。
義太夫節
人形浄瑠璃は、義太夫節(浄瑠璃の一種)の演奏に合わせて劇が進行する構成であり、歌舞伎でも人形浄瑠璃から移入した演目(『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』など)は同様に義太夫節が演奏される。人形浄瑠璃では登場人物の台詞と状況説明を全て義太夫節の太夫(語り手)が行うが、歌舞伎での台詞は基本的に役者が担当し、太夫は状況の説明のみを語ることになる。このため、歌舞伎における義太夫節を「竹本」(チョボ)といって区別することがある。義太夫狂言での義太夫節は主に舞台上手にある専用の舞台で演奏される。この場所を「床(ゆか)」または「チョボ床」と呼ぶ。
常磐津節・清元節
共に浄瑠璃の一つ。大坂で発展した義太夫節に対し、これらは江戸で発展したもので「江戸浄瑠璃」と呼ばれる。重厚な義太夫節に比べて軽妙洒脱な芸風が特徴で、清元節は更に繊細な持ち味を備える。舞踊劇や舞踊で演奏される。それぞれ、常磐津節・清元節を参照(常磐津節『関の扉』『戻駕』、清元節『落人』『保名』など)。
その他
上記の他、大薩摩節、河東節、新内節などが使われる演目がある。江戸浄瑠璃の一つである富本節(常磐津節と清元節の系譜の中間に位置する)は江戸時代に盛んに用いられたが、近代以降は衰退し、現在では歌舞伎の伴奏として演奏されることはない。
下座音楽

詳細は「下座音楽」を参照

「黒御簾音楽」ともいい、劇中音楽を担当し、「黒御簾(くろみす)」と呼ばれる舞台下手脇の専用の場所で伴奏音楽や効果音を演奏する。効果音では、太鼓を使った水辺を表す音や鉦による寺院の鐘の音など、楽器を使ってさまざまな効果を表す。

長唄は舞台の正面または上手に雛段を設け、そこに出囃子とともに並んで演奏する。義太夫節の床以外での演奏は出語りという。常磐津や清元は山台という台に上がって演奏するが、山台はふつう常磐津だと舞台下手に、清元は舞台上手に置かれる。各流派の演奏はひとつの演目の中で単独で行うとは限らず、異なる音曲が順番に演奏を担当するものや、合奏するものがある。たとえば『京鹿子娘道成寺』では初めに義太夫が語り、次に長唄が演奏する。また舞踊劇『紅葉狩』では常磐津節、長唄、義太夫節が合奏しこれを三方掛合いという。長唄や浄瑠璃各流派は、歌舞伎公演のほか日本舞踊の伴奏や単独での演奏会も行われている。
作成: 2010年10月24日 19時32分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
歌舞伎の演目一覧 - Wikipedia
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元禄〜正徳年間 [編集]

元禄文化から正徳の治の時代。

* 『遊女論』(ゆうじょ ろん) (宝暦8年・1680)
* 『寿曽我対面』(ことぶき そがの たいめん) (元禄10年・1697)『吉例曽我対面』、『曽我の対面』、『対面』
* 『参会名護屋』(さんかい なごや) (元禄10年・1697)
o 『歌舞伎十八番之内 不破』
* 『兵根元曾我』(つわもの こんげん そが) (元禄10年・1697)
* 『一心五界玉』(いっしん ごかいの たま) (元禄12年・1699)
o 『歌舞伎十八番之内 嫐』
* 『傾城王昭君』(けいせい おうしょうくん) (元禄14年・1701)
o 『歌舞伎十八番之内 象引』
* 『星合十二段』(ほしあい じゅうにだん) (元禄15年・1702)
* 『花館愛護桜』 (はなやかた あいごの さくら)(正徳3年・1713)
* 『大経師昔暦』(だいきょうじ むかし ごよみ) (正徳5年・1715) 『おさん茂兵衛』

享保〜寛保年間 [編集]

享保の改革の時代。

* 『国性爺合戦』(こくせんや かっせん) (享保元年・1716)
o 『千里ヶ竹』、『楼門』、『甘輝館』
* 『鑓の権三重帷子』(やりの ごんざ かさね かたびら) (人形浄瑠璃:享保2年・1717) 『鑓の権三』
* 『若緑勢曽我』(わかみどり いきおい そが) (享保3年・1718)
o 『歌舞伎十八番之内 外郎売』
* 『曽根崎心中』(そねざき しんじゅう) (享保4年・1719)
* 『平家女護島』(へいけ にょごが しま) (享保5年・1720) 
o 『俊寛』(しゅんかん)
* 『心中天網島』(しんじゅう てんの あみしま) (人形浄瑠璃:享保5年・1720)
o 『心中紙屋治兵衛』、『天網島時雨炬燵』、『河庄』(『紙治』)、『時雨の炬燵』(『治兵衛内』)
* 『楪根元曾我』(ゆずりは こんげん そが) (享保5年・1720)
o 『歌舞伎十八番之内 矢の根』
* 『信州川中島合戦』(しんしゅう かわなかじま がっせん) (人形浄瑠璃:享保6年・1721) 
o 『輝虎配膳』(てるとら はいぜん)
* 『大塔宮曦鎧』(おおとうのみや あさひの よろい) (享保8年・1723)
o 『身替り音頭』、『切籠燈籠』
* 『国性爺竹抜五郎』(こくせんや たけぬき ごろう) (享保12年・1727)
o 『歌舞伎十八番之内 押戻』
* 『梶原平三誉石切』(かじわら へいざ ほまれの いしきり) (享保15年・1730) 『石切梶原』
* 『鬼一法眼三略巻』(きいち ほうげん さんりゃくの まき) (享保17年・1732)
o 『菊畑』、『奥庭』、『一条大蔵譚』(いちじょう おおくら ものがたり)
* 『相生獅子』(あいおい じし) (享保19年・1734)
* 『蘆屋道満大内鑑』(あしや どうまん おおうち かがみ) 『葛の葉』(くずのは)(人形浄瑠璃:享保19年・1734)
* 『刈萱桑門筑紫
作成: 2010年10月24日 19時34分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
歌舞伎の家の芸一覧 - Wikipedia
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歌舞伎の家の芸一覧
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歌舞伎の家の芸(かぶきの いえのげい)では、歌舞伎役者の権門がお家芸として特に定めた演目集をあげる。

* 歌舞伎十八番(かぶき じゅうはちばん)
o お家: 成田屋・市川宗家(市川團十郎=市川海老蔵家)
o 撰者: 五代目市川海老蔵

* 新歌舞伎十八番(しん かぶき じゅうはちばん)
o お家: 成田屋 市川宗家
o 撰者: 五代目市川海老蔵・九代目市川團十郎

* 杏花戯曲十種(きょうか ぎきょく じっしゅ)
o お家: 高島屋・市川左團次家
o 撰者: 二代目市川左團次

* 猿翁十種(えんおう じっしゅ)
o お家: 澤瀉屋・市川猿之助家
o 撰者: 三代目市川猿之助

* 澤瀉十種(おもだか じっしゅ)
o お家: 澤瀉屋 市川猿之助家
o 撰者: 三代目市川猿之助

* 猿之助十八番(えんのすけ じゅうはちばん)
o お家: 澤瀉屋・市川猿之助家
o 撰者: 三代目市川猿之助

* 可江集(かこうしゅう)
o お家: 橘屋・市村羽左衛門家
o 撰者: 十五代目市村羽左衛門

* 新古演劇十種(しんこ えんげき じっしゅ)
o お家: 音羽屋・尾上菊五郎家
o 撰者: 五代目尾上菊五郎・六代目尾上菊五郎

* 片岡十二集(かたおか じゅうにしゅう)
o お家: 松嶋屋・片岡仁左衛門家
o 撰者: 十一代目片岡仁左衛門

* 高賀十種(こうが じっしゅ)
o お家: 紀伊國屋・澤村宗十郎家
o 撰者: 七代目澤村宗十郎

* 淀君集(よどぎみ しゅう)
o お家: 成駒屋・五代目中村歌右衛門家
o 撰者: 五代目中村歌右衛門

* 玩辞楼十二曲(がんじろう じゅうにきょく)
o お家: 成駒屋・中村鴈治郎家
o 撰者: 初代中村鴈治郎

* 秀山十種(しゅうざん じっしゅ)
o お家: 播磨屋・中村吉右衛門家
o 撰者: 初代中村吉右衛門

* 古劇八種(こげき はっしゅ)
o お家: 三河屋・市川團蔵家
o 撰者: 六代目市川團蔵
作成: 2010年10月24日 19時34分 / 更新: 2011年01月18日 07時16分
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