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最新更新日時: 2017年09月30日 13時06分
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太宰治『斜陽』 - 稀な晴れ-読書,呟き,痕跡-
http://d.hatena.ne.jp/kamiharu/20081206/1228581827

太宰先生の作品は、その退廃的な雰囲気もそうだがそれ以上に文章が好き。読点が多いのだがそれが煩わしくなく、かえってとんとんとんとリズミカルに読める。登場人物の呼吸が文章から感ぜられる。読者も呼吸するように受け入れることが出来る。そして言葉の選びが巧みで、読んでいるだけでとても心地よい気分になる。ふわふわと浮かぶような心地。私にはとてもじゃないが真似できないことである。当然古臭さもあるが、それ以上に今に通じる叙述の美しさと自意識の荒々しさを感じる。

そして何より先生は女性の一人称が巧みである。男性作家で、太宰先生ほど女性をありありと書き出す人を私は知らない。この作品でもそれがいかんなく発揮されている。

『斜陽』では、主人公の女性やその弟の、体面ばかりを気にする貴族の俗らしさへの反感と、一般民衆に溶け込もうと思ってもどうしても脱せない貴族のプライドへの苛立ち、が度々書かれる。これは良家の出身である太宰先生がリアルに抱えた葛藤なのかと思う。そのあたり詳しい書評で紐解く必要がありそうだ。
作成: 2011年01月02日 12時36分 / 更新: 2011年01月02日 12時36分
太宰治文学(斜陽等) | OKWave
http://okwave.jp/qa/q1849189.html

「季刊iichiko」NO.67/2000SUMMERが太宰治と中原中也の特集を組んでいます。山崎正純「太宰治と日本浪漫派」や中村三春「太宰的アレゴリーの可能性」などの報告がなされています。

少しだけ引用します。討議での中村氏の発言から。

「『津軽』は太宰の根源回帰の物語であると、私たちは長い間一方的に読んできました。これは私たちが、自己なのか他者なのかという二元論の中で物事を考えてきたことの表現だと思います。」

「太宰は『自分には思想は必要ない』と言明していますが、戦後期の流行作家になった、ある意味では図に乗って喋っている太宰の言葉じりをとらえて、それだけを根拠にするのはいささか弱すぎるのではないか。」

太宰治文学からにじみ出るスピリッツの新しい側面に触れた感じがして、読んでいて体がカッカカッカと熱くなりました。
作成: 2011年01月02日 12時34分 / 更新: 2011年01月02日 12時34分
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